Magoの旅と音楽と

旅と音楽について書いています。

東高野街道 第8回 南海三日市町駅~南海千早口駅

いけない!
こんなことじゃいけない!

お正月は、寝正月を決め込んでいたぼくの心に、なぜか天からの声がひびきました。
良心の呵責ともいいますけど。
あまりの怠惰な生活に、我ながらほとほと呆れていたところなんです。

しかも、天気が良い!
これは出かけなくっちゃ。
新年早々歩くことにしました。

前回、めでたく大坂からのルートと合流して、「高野街道」となったのですが、本ブログではそのまま記事タイトルも書庫名も「東高野街道」としております。
単に、ぼくが無頓着だからという理由です。

今回歩いたのはこの辺り。

詳しい地図で見る
軌跡入りの地図はこちら(Google Map)

府県境の峠を越えて、いよいよ和歌山県に入ります。

まずは、電車で南海三日市町駅へ向かいます。
実は京都からは行きやすいんですね。
うちからはうまく行けば、天下茶屋での1回の乗り換えでたどり着くことができます。
富田林への行きにくさとは段違いです。
京都から富田林へ電車で行こうとすると、すぐにルートが思いつかないんですが・・・。


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三日市町駅前のビルから南方を望むと、街道を見下ろすことができます。
カラー舗装されたいい感じの道が続いています。
その向こうに立ちはだかるのが、府県境となる山々。
今日はあそこに挑むのです。

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駅前の街道入口には、説明看板がありました。
堺からのルートにそって「高野山女人堂へ○里」という、里程石というものが街道沿いに残されています。
その説明看板なのですね。
どうやら八里碑の説明をしているのですが、近辺には八里碑が見当たりません。
文章をよく読むと、どうやらこの場所から南へ約500m行ったところにあるそうです。
ややこしい・・・。

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街道はとても歩きやすい道です。
幸先のいいスタートが切れました。

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しばらく行くと、無事、八里碑を発見。
天見川を渡る直前にひっそりと建てられています。
安政四年(1857)と記されていますから、さほど古いものではありません。

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天見川をのぞき込むと、コンクリートで固められた味気のない河床でした。
でも、流れる水の清冽なこと。

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旧国道371号線沿いの庚申堂。
ちょっとお参り。

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国道371号線を渡ります。
真下をとおるのが、現在の国道371号線。
写真左から合流してきているのが、旧国道です。
立派な道路。

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ひと様が歩いてきたのがこの道。
人が行き来するのにちょうどいいサイズ。
実はこれで充分なのかもしれません。

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 街道は、現在の国道371号線に吸い込まれました。
歩道もないのに、車がビュンビュン通ります。
恐いよおぅ。
山肌に石垣を築いた段々畑が美しい。

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またまた、人間サイズの道に戻りました。
手前のトタンは、街道筋にそって立てられているイノシシよけと思われる柵。
車が走っているのが、国道371号線。
その向こうに見えるのが、南海高野線
そのさらに向こうに、谷に橋をかけてわたっている国道371号線のバイパス。
時代を追って、どんどん規模が大きくなります。

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車が連なる国道沿いにも史跡があります。
「清水の井戸」
もう水を汲むこともままなりません。

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天見簡易郵便局の附近から、岩瀬の集落に入ります。
入るとすぐに、小さなお地蔵様の祠。

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横を流れる天見川をのぞき込むと、こんなようす。
渓流です。

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集落に、大神講の常夜灯と高野街道の道標がありました。
「右 かうや」「左 か???」
読めません。
とりあえず、右に行けばいいようです。

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隣接するお地蔵様の立派なお堂。
相当に古そうな五輪塔の部分なども安置されていました。

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街道を少し進むと、古い酒屋さん。

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素敵な琺瑯看板がかかっています。

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千早口駅につきました。
ちょっと休憩。

つづく。