Magoの旅と音楽と

旅と音楽について書いています。

東高野街道 第7回 河内長野~南海三日市町駅

河内長野の市街地に入りました。

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古い元写真館が、街道筋にありました。

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街道は駅前のアーケードに吸い込まれます。
このアーケードは街道筋。
少し進むと

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石碑があります。
「この附近、東と西の高野街道合流地点」
つまり、ついにここで「東」高野街道は終点です。
東寺さんを出発して、八幡市から東高野街道と呼ばれる道を歩いてきた身としては、それなりに感慨深いものがあります。
高野山女人堂へ南約35km」
高野山までは、まだまだありますから、先を急ぎましょう。
冬の日は短いので、急がなくてはなりません。
でもちょっと寄り道。

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河内長野の7つ辻。
わざわざwikipediaに専用のページがあるほどの名物地点です。


詳しい地図で見る

街道に戻ります。

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高野街道」の碑が立つ、立派なおたく。
ここからカラー舗装の道を進みます。

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街道は右手の段丘を下る方向に進んでいます。
またここで、段丘上を進む直進方向に寄り道します。

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長野神社にお参りです。
立派なクスノキが印象的でした。

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一段下の段丘面にも古い街区が残されています。

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作り酒屋、天野酒造さんでおみやげ購入!
純米酒を買いました。
歩くのに、重いけど・・・。

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なかなか絵になる辻。
クルッと曲がって、石川を渡ります。
これまでから、何回かあったパターン。

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石川は、谷を刻んでいます。

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再び、山の辺の静かな道。

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古い道標がありました。
「右 かうや道」

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烏帽子形神社です。
古墳というか、砦というか、城跡というか。
とても見通しのいい場所にあり、天見川に沿った街道、天見川を行き来する船が見通せたようです。
往時から、要衝であったことがわかります。
先を急いでいるにもかかわらず、急な石段を上がってお参りします。

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ずいぶん暗くなってきました。
現在は、木が茂ってしまっており、さほど眺望は望めませんでした。

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またまた古い道標。
「大坂 さかい」

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お地蔵様も、立派な祠にいらっしゃいました。

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三日市の街に入ると、高札場が残されていました。
ちょっとお社もあります。

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山の辺を来た古い街道は、段丘を降りていきます。

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国道371号線の旧道をまたぎ、さらに行くと、その旧道にあたりました。
昭和の初期に、一番にぎわいを見せたような雰囲気です。

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その旧街道である高野街道との交差点辺りに、三日市村役場跡の碑がありました。

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すぐ脇には、古い交番も現役で活躍してます。
でも、説明板が建てられているほど古い建物なのに、手入れがいいからか、全然古く見えません。
いいんだか、悪いんだか。

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今度は谷を刻む天見川を渡ります。
ちょっと山の雰囲気になってきました。

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天誅組」の記念碑。
幕末の尊王攘夷運動だそうです。

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いよいよ宿場町の雰囲気!
いい感じの三日市宿です。
夕暮れ時の山辺の宿場の雰囲気、たまりません。

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弘法大師の常夜灯を観て・・・。

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本日のゴール。
南海三日市町駅です。
やれやれ。
かなり暗くなっちゃいました。