河内長野の市街地に入りました。
古い元写真館が、街道筋にありました。
街道は駅前のアーケードに吸い込まれます。
このアーケードは街道筋。
少し進むと
石碑があります。
「この附近、東と西の高野街道合流地点」
つまり、ついにここで「東」高野街道は終点です。
東寺さんを出発して、八幡市から東高野街道と呼ばれる道を歩いてきた身としては、それなりに感慨深いものがあります。
「高野山女人堂へ南約35km」
高野山までは、まだまだありますから、先を急ぎましょう。
冬の日は短いので、急がなくてはなりません。
でもちょっと寄り道。
河内長野の7つ辻。
わざわざwikipediaに専用のページがあるほどの名物地点です。
詳しい地図で見る
街道に戻ります。
「高野街道」の碑が立つ、立派なおたく。
ここからカラー舗装の道を進みます。
街道は右手の段丘を下る方向に進んでいます。
またここで、段丘上を進む直進方向に寄り道します。
長野神社にお参りです。
立派なクスノキが印象的でした。
一段下の段丘面にも古い街区が残されています。
作り酒屋、天野酒造さんでおみやげ購入!
純米酒を買いました。
歩くのに、重いけど・・・。
なかなか絵になる辻。
クルッと曲がって、石川を渡ります。
これまでから、何回かあったパターン。
石川は、谷を刻んでいます。
再び、山の辺の静かな道。
古い道標がありました。
「右 かうや道」
烏帽子形神社です。
古墳というか、砦というか、城跡というか。
とても見通しのいい場所にあり、天見川に沿った街道、天見川を行き来する船が見通せたようです。
往時から、要衝であったことがわかります。
先を急いでいるにもかかわらず、急な石段を上がってお参りします。
ずいぶん暗くなってきました。
現在は、木が茂ってしまっており、さほど眺望は望めませんでした。
またまた古い道標。
「大坂 さかい」
お地蔵様も、立派な祠にいらっしゃいました。
三日市の街に入ると、高札場が残されていました。
ちょっとお社もあります。
山の辺を来た古い街道は、段丘を降りていきます。
国道371号線の旧道をまたぎ、さらに行くと、その旧道にあたりました。
昭和の初期に、一番にぎわいを見せたような雰囲気です。
その旧街道である高野街道との交差点辺りに、三日市村役場跡の碑がありました。
すぐ脇には、古い交番も現役で活躍してます。
でも、説明板が建てられているほど古い建物なのに、手入れがいいからか、全然古く見えません。
いいんだか、悪いんだか。
今度は谷を刻む天見川を渡ります。
ちょっと山の雰囲気になってきました。
「天誅組」の記念碑。
幕末の尊王攘夷運動だそうです。
いよいよ宿場町の雰囲気!
いい感じの三日市宿です。
夕暮れ時の山辺の宿場の雰囲気、たまりません。
弘法大師の常夜灯を観て・・・。
本日のゴール。
南海三日市町駅です。
やれやれ。
かなり暗くなっちゃいました。