記念撮影をしたら出発しましょう。
峠にはいろいろな看板が建てられています。
この写真は、旧国道から写したものですが、街道は旧国道からさらに別れて、集落に入ります。
こんな古いタイプの道路案内標識も残っています。
紀見峠の集落に入ります。
街道にも色々と看板や石碑が建てられています。
手前から
「親しまれ愛された松」説明看板
「高野山女人堂へ六里」道標石
「高野山六里道標石」説明看板
「番所跡」標柱
「岡潔生誕の地」記念碑
「誕生の地 孤高の人に 梅薫る 弘子」歌碑
里程石が霞むほどです。
岡潔さんは、世界的に高名な数学者だそうです。
最後の歌碑は、岡潔さんに向けられたものですね。
集落は峠の宿場町の雰囲気が残されています。
立派な歌碑がありました。
「石一つ 残して聖火の 行方かな 風みち」
有名な方の歌なのでしょう、おそらく。
集落の下の方に、祠がありました。
傍らに壊れた道標が打ち捨てられています。
「右 ちか・・・」「左 ?・・・」
街道は山道の様相です。
杉木立の中を歩きます。
ついに舗装が消失。
山道です。
ハイカーや散歩の犬とすれ違います。
この辺りの真下を、国道371号線のトンネルが通っているようです。
もちろん音も聞こえませんし、何もそれを示すようなものはありません。
写真がぶれているのは、足元がおぼつかないのに加えて、思いのほか暗いからです。
急勾配の急カーブ。
お社がありました。
どうやら柱本の沓掛集落に出たようです。
木々の合間から集落が見えました。
手前に棚田。
その向こうに古い家屋、さらに向こうに大規模な新興住宅地が広がります。
沓掛集落に到着。
峠の集落からここまでの区間が、これまでで最も過酷な条件の区間となりました。
くだってきた道を振り返ると、こんなようす。
いかにも「沓掛」な集落の景観が残されています。
ここへ来て、初めて今回の行程の最終目的地、高野山を望むことができました。
あと少し!
いやいや・・・、まだ遠いです。
この辺りは柿の産地です。
柿畑も目につきます。
柱本の交差点に到着。
立っている道は、国道371号線の旧道。
交差しているのが、国道371号線。
トンネルから出てきてすぐのところです。
詳しい地図で見る
今回の、高野街道の旅はここまで。
電車にのるので、南海紀見峠駅へ向かいます。
小さな山肌を越えるのですが、その一番高いところに神社がありました。
立派な石垣があります。
砦かお城といった風情だった時代もあるのでしょう。
道端には、雪の玉。
雪だるまの残骸でしょうか。
地蔵寺でお参り。
南海紀見峠駅に到着しました。
金剛山への登山口の駅となっているようです。
構内には靴の泥落とし用のブラシやバケツなども準備されていました。
山間の静かな無人駅ですが、スルッと関西対応の自動改札があり、発着する列車は8両編成。
決してローカルな田舎駅ではありません。
第8回はここまで。