Magoの旅と音楽と

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「大人のための残酷童話」倉橋由美子(新潮文庫)

 昔あるところに、白雪姫という、とてもきれいな姫がおりました。
 姫の実母であるお后が没した後、新しいお后は、白雪姫の美しさを妬んで城から追い出したのでした。

 ぼくが初めて倉橋作品に触れたのは、「倉橋由美子の怪奇掌編」でした。
 今から20年ほど前のことですが、その淡々とした語り口に含まれる毒に、大変驚いたのを覚えています。
 そのあと、当時文庫で手に入った倉橋作品を読みあさりました。

 先日、オープンしたばかりの書店の棚で、本書を見かけました。
 久々に倉橋由美子作品を書店で見かけたことになります。
 未読だったため、すぐに購入しました。

 本作には26編もの掌編が納められています。
 数ページの作品ばかり。
 どれも、童話などを下敷きに新解釈が加えられ、倉橋作品の毒が盛り込まれています。

 考えてみれば、童話は不思議な世界です。
 不思議な世界を、あたりまえに扱うところが、なお不思議なのです。
 そんな世界をさらに拡張し、淡々と描き出される、倉橋世界。
 不思議の世界に、大人の尺度や実世界の道理という、無理をちょっと押しつけてみる。
 するとにじみ出てくるのが、毒々しい展開となる物語。
 官能的にアヤシイ世界。
 怪しいと妖しいが同源であることが感じられます。

 各編とも、破綻を来しかけた世界。
 救いのないお話。
 これを「教訓」が締めくくっています。
 この教訓が効いています。
 ストンと落ちることも、がらっと世界を変えることもあります。
 考えさせてくれます。
 このひとことが、作品を深くしていると思います。

 もともと1982年から翌年にかけて書かれた作品群です。
 当時からみれば、現代社会は、かなり不思議の世界。
 スピードを増し、破綻しかかっているかのようなこの世界。
 人々は、退行でバランスを保っているのかもしれません。
 ぼくは20年以上前の作品を読むと、どうも文化が幼児化している気がしてならないのです。

 本作は大人のための童話という題材を扱うことで、大人とは何かということに気付かせてくれます。
 そして、ぼくは充分に大人ではないんだな、ということも。

 見かけたらちょっと読んでみてください。
 「あとがき」、「解説」も、よければ読んでみてください。
 普遍と変化が見えてくる、かもしれません。