Magoの旅と音楽と

旅と音楽について書いています。

「ゆらゆら橋から」池永陽(集英社文庫)

 「あの橋を渡って来た女は、あの橋を渡って戻っていく」
 村はずれにある、朽ちかけた橋を渡って、東京から若い女の先生が赴任してきた。

 池永陽の8編からなる連作短編集です。
 主人公は佐竹健司という男性。
 この男性の視点で、小学生から50代の半ばまでが、8編の短編で綴られます。
 中学時代に「ウエスト・サイド物語」が流行るのですから、平成20年現在、ちょうど定年を迎える世代になりますね。

 岐阜の田舎の村から、大学進学を機に東京へ出て、そして故郷へ。
 年齢と場所を変えながら、各編で女性との恋愛が描かれます。
 人生に影を落とし続ける、中学時代の恋。
 一見平凡な人生にも、いろいろドラマがありますね。

 もちろんフィクションなのでしょうが、ついつい自分と比較してしまいます。
 この主人公、あれこれ引きずりながらも、輝かしい恋を刻んでいきます。
 ぼくの恋物語では、とても8編ものおはなしができません。

 読み進むと、思いが脳裏に澱のように溜まります。
 自分が過ごしてきた人生、これでよかったのか、と。
 いえ、後悔するようなことはない、と思っています。
 でも、「あのときこうしておけばどうなっただろう」というポイントは、それなりにあります。

「世の中には無意識にそう振る舞う清純そうな女性はいても、心から清純な女性なんていないのが現実。女はね生まれたその日から演技をしているの。」

 大学時代に健司が女性からいわれる言葉です。
 中学時代の恋を引きずり、前に進めなくなっている健司に年上の女性が諭します。

 そういえば、ぼくもこんな言葉を投げかけられたことがあります。
 「私を美化しすぎている」
 当時、何度かデートをしてくれた相手が、何度目かのデートでぼくにいった言葉です。
 どういう意味だったんでしょう。
 何を求められていたのでしょう。
 どうすればよかったのでしょう。
 今も分かりません。
 青空の下、神戸メリケンパークの風景が目に焼き付いています。

 単に読み物として楽しむもヨシ。
 すごく美しく、切ない。
 そして、現実がだんだん迫ってきて、飲み込まれてしまう。
 健司が不倫に走るのは、ちょっと許せないところですが、それはまたそれで、切ないものなのです。

 そして、ぼくのように自分に重ねて読むのも一興。
 というか、中年にさしかかった年代以降の男性なら、みんなそんな読み方をするのでしょうか。

 あの人はどうしているのでしょう。
 そんなことを考えてしまいます。
 オトナの男性に、大オススメ!