現道に沿って、しばらく歩きます。
「大畑才蔵の墓」という道しるべのところで、旧道がわかれます。
大畑才蔵って誰?
郷土の偉人さんなのですね。
京都でいえば、角倉了以か、田辺朔郎のような感じ?
一般のおたくの軒下に、突如、里程石が立っています。
どういう経緯でこんなことになったのか。
末代まで大切にしていただきたいと思います。
学文路大師(学文路地蔵)です。
なぜかお堂を撮影するのを忘れました。
「学文路」は「かむろ」と読みます。
鉄ちゃんには、難読駅名として大変有名な駅名です。
いわれの看板も立てられていました。
村の何でも屋さんを発見!
コンビニに駆逐されつつあるこういうお店。
当然覗きます。
ご丁寧に、今や絶滅寸前の公衆電話まで!
「塩」の看板も、燦然と掲げられています。
さすがにみかんが並べられています。
どれも安い!
自家製だという梅干しと銀杏を購入しました。
軒下には、なぜかオーディオ(コンポ?)がいっぱいです。
Lo-Dなんていう懐かしいブランドも。
一軒だけですが、充分に昭和博覧会。
生きた昭和のくらし博物館です。
現道と旧道の交差点に大畑才蔵生誕の地の碑。
立派です。
こちらは学文路郵便局。
店先には様々な石碑が残されています。
寺領と藩領の境界石や道標などがあります。
なぜか「学文路郵便局開設の地」の碑も。
いまもここに学文路郵便局はあるのですが・・・。
一時期は移転していたのでしょうか。
もと薬屋さんでしょうか。
軒下にこんな琺瑯看板が。
裏はこんな感じ。
今なら絶対に付けないネーミング。
「強力メタボリン」!
「滋養強壮」なんていう単語を思い出します。
また現道と交差します。
写真左上に伸びている道が、女人堂への登り口です。
いよいよ高野山の本当の麓にたどり着きました。
つづく