順調に紀の川の渡しまで歩いてきたわけです。
いよいよゴールが見えてきました。
これまで、女人堂までの一直線コースか、均等に10km程度のコースで考えていました。
第0回の記事で、仮に下古沢駅で区切っているのは、均等距離コース。
しかし、いざ登る段になると、色々考えてしまいます。
これまで付き合ってきた里程石の示す女人堂までの一直線コースか、一般的な表参道の町石道ということに。
町石道は、鉄道や車が開通するまでの、一番のメイン通りだそうです。
しかも、石碑が1丁ごとに建てらており、その数180本といいます。
この石碑、ぜひ見たいじゃないですか!
町石道で最終回を迎えることにしました。
町石道の登り口は南海高野線の九度山駅が最寄りです。
というわけで、今回は九度山駅までの行程となります。
平成26年2月11日。
歩いた範囲は、だいたいこの辺り。
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軌跡入りの地図はこちら
橋本駅を出て、紀の川を目指します。
国道24号線沿い、紀陽銀行の前に、道路元標がありました。
一時期失われていたようです。
なんと、市の指定文化財とか。
失われていた時代もある割には、丁重な扱いにびっくり。
いよいよ紀の川を渡ります。
反対岸の常夜灯です。
三軒茶屋大常夜灯というそうです。
平井なんたらさんの碑など横にも色々石碑が立っています。
反対岸の東家渡場の対になるのは、デザインからいって、こちらの灯籠。
いっぱいあれこれ立っています。
こちらは西行庵。
真新しく、再建から時間が経っていません。
平成25年1月の建築だとか、道理で。
1年しか経ってない建物です。
西行法師は、地元京都洛西のご出身。
なんだかご縁を感じるのです。
庵には六地蔵がお祀りされているようです。
高野山までには、このような六地蔵がいくつかあるそうで。
こちらは小さな流れを渡ったところのお地蔵様です。
道しるべでもあり、行き先が彫り込まれています。
「右 高野山」
立派なお屋敷が立ち並びます。
庭木の手入れだけでも相当なもの。
さらに古い土塀のお家。
紀伊清水の集落の景観です。
街でも景観保存に乗り出されているようです。
辻に祠がありました。
西国三十三箇所の供養塔と常夜灯です。
集落の裏手にお社がありました。
相当に古い神社のようです。
社皇王神社。
読めません・・・。
縁起によれば802年の創建だそうで。
近くのお家の土塀に使われている瓦です。
「紀州東家尾与」の銘が入っています。
東家は、瓦の産地でもあったのですね。
つづく。