Magoの旅と音楽と

旅と音楽について書いています。

東高野街道 第3回 私部~JR星田駅

続いて、私部の集落を歩きます。

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良い感じの小道が続いています。
歩くのが楽しくなります。

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なんだか面白い形に刈り込まれた木。
傘のような、きのこのような。

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周囲のお屋敷も、手入れの行き届いているお庭が伺えます。

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京阪電車交野線の踏切を渡ります。

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バスが行き交う道路の下をくぐります。
このあたりで私部の集落はおしまい。

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たまには歩道橋も渡ります。
「スタコ坂歩道橋」という名前がついています。
面白い名前。
スタコラサッサかな?
と、思えば、すぐ近くに砂子橋という橋がかかっていました。
砂子なら、多分砂が溜まっていたか何かなのでしょう。
それが訛って・・・というところ?

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その砂子橋は、国道168号線が川を渡っている橋です。
砂子橋のたもとには、道標が立っていました。
字がほとんど読めませんでしたが、裏側の「明治二十年四月 大阪府」は読み取れました。

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つづいて、その名も天野川(あまのがわ)を渡るのが、逢合橋(あいあいばし)。
橋の袂には歌碑が建てらています。
「彦星と 織姫と 今夜逢ふ 天の川門に 波立つな ゆめ」
万葉集の歌だとか。
なんだかすてきです。

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ここから、一般に東高野街道とされるコースと合流です。
しかし、いきなりエライことに。
建設途上の国道168号線バイパスに、行く手を阻まれました。

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通れるはずなのに、厳重にバリケードがされています。
「横断するな」って・・・。
おそらく横断歩行者の事故でもあったのでしょう。
でも、歩行者が道路の反対側に行こうと思うと、すごく迂回しなくてはなりません。
気をつけるべきは自動車であって、歩いて安全に渡れる方策を考えるべきだと思うのですが。
道路って、人間のものですよね、すくなくとも古い街道は。
機械のためのものじゃありません。
バリケードを越えるのもオトナゲないので、仕方なく大回り。

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少し行くと道標が立っていました。
「本尊○の」?
読めません。
裏側には「西へ一丁」。
う~ん・・・?

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ほどなく巨大な第二京阪道と国道1号線のバイパスにあたります。
上空が第二京阪道路で、平面が国道1号線のバイパスです。
どちらも、まさに現代の自動車のための道。
上の写真の橋脚の手前をよく見てください。
おじいさんが縁石に腰掛けています。
このかた、杖をついていらっしゃいました。
巨大な道路が渡りきれなくて、途中で信号が変わってしまい、休憩されているのです。
おじいさん側には横断歩道がありません。
というか、横断歩道すら用意されていないのです。
おじいさんを発見した自動車もびっくりして、何台もが急ブレーキを踏んでいます。
これでいいのでしょうか。
自然におじいさんを導くような横断歩道の付け方とか、地下道とか・・・。
道路の設計者は、ちょっと考えていただきたいのです。

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2回目の青で、おじいさんは無事横断完了。
今日も無事かどうかはわかりませんが・・・。
自動車がおじいさんをひけば、ひいた自動車が悪いことになります。
でも、悪いのは自動車のドライバーだけではないような気がします。

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で、道路を渡りきり、防音壁の向こう側は、無意味な草地が帯状に続いています。
なんでも沿線住民から騒音や住環境の悪化を理由に反対運動が起こり、車線を削ったそうです。
おかげでもっとも新しい国道1号線のバイパスなのに、フルに機能していません。
古くから計画があったこの道路の横に引っ越してきておいて、うるさいからと計画をねじ曲げる。
そんな私益が公益に勝っていいはずがないと思うのですが。
先祖伝来の土地を収容された方も多かったはずなのです。
家を移さざるを得なかった方もいらっしゃったはず。
うかばれません。

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しばらく真っ直ぐな道が続きます。
ぶちあたった交差点は「神出来」。
「かんでら」と読むようです。
すごい難読地名。
しかも日本語離れしていますね。

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道端にまた記念碑がありました。
道標のような大きさですが、記念碑です。
「此附近星田牧址」。
牧とは御用牧場を指すようです。
のどかだったのでしょう。
今は焼肉屋さんの看板がくくりつけられています。
なんという因果。
ちなみに建立者は「交野町」。

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JR片町線の下をくぐります。

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あまり太い道ばかりでもつまんないので、とりあえず星田駅に向かう旧道に入りました。
すぐに大正天皇行幸碑がありました。
立派な碑です。

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JR星田駅。
高架になったのは昭和54年といいますから、かなり前。
でも真新しく見えます。

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駅前には誘惑。
さいわいお店が閉まっていました。

つづく。