Magoの旅と音楽と

旅と音楽について書いています。

東高野街道 第2回 松花堂庭園~JR津田駅

続いて、松花堂庭園を出発して、JR津田駅を目指します。

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街道筋に、立派な道しるべがありました。
「岡の稲荷社」の碑。
もちろん安兵衛さんの碑です。
「左 奈良街道」「右 高野街道」と刻まれており、高野街道の面には詳細な距離が刻まれています。
「峠 十五丁」とあるのは、洞ヶ峠でしょうか。
野崎や津田、柏原、そして高野山の地名が見て取れます。

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達筆すぎて、ぼくには読めない碑。

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この2基は、個人宅の門先にありました。
吉井勇先生」の碑、あまり字がキレイではないような・・・。
いえ、素人のぼくにはわかりませんが。

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しばらくすると、山裾を歩きます。
左手は、山城の盆地が広がります。

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少し開けると、現在の東海道、国道1号線にあたります。
場所は洞ヶ峠の直前です。


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一般に高野街道といえば、現在は洞ヶ峠越えになっています。
でも、洞ヶ峠は国道1号線。
そして、ここからさき、いわゆる高野街道とされているルートは、少々鉄道路線jから離れます。
つまり、つないで歩くのが難しくなります。
高野街道は官製の道ではなく、自然発生的な地形に沿った道。
ここは、まっすぐ長尾峠越えを目指すことにします。
他の人やパンフレットのあとをなぞっても仕方ありませんし、違うルートなら違うものも見られるでしょう。
長尾峠越えは、おそらく時代によってはメインとなったルートでもあります。
というわけで直進。
余裕があれば、ゴールしてから、もう一度改めて洞ヶ峠越えを歩くことにします。

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真新しい山手幹線を超えると、すぐに峠です。
峠は摂南大学のキャンパスの中を貫くようにあります。
もちろんサミットで、いよいよ京都府から大阪府に入ります。
残念ながら、「これより河内国」のような碑はありませんでした。

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大阪府に入ると、新旧混在の長尾峠の街を通ります。

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街を抜けると、家具屋さんだらけの枚方家具団地です。
ずっと家具屋さんばかり。
ここでも旧道を抜けて、先を目指します。

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旧道が尽きて、車が通る大きな道に面して、ポケットパークがあり、こんな碑がたてられていました。
枚方市長尾台一土地区画整理事業 竣工記念碑」です。
土地区画整理事業組合と大阪家具コンビナート工場団地協同組合が立てたようです。
昭和44年の着工で、昭和48年の竣工だそうです。
たった4年少しで51haもの土地を整理し、かかった費用はたった13億円とのこと。
ぼくが生まれた頃なのに、隔世の感があります。
日本経済はすごく上向きだったんでしょうね。

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溝蓋に、速度制限標識が使われていました。
なぜ?

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団地の一角にあるあんこ屋さん、北条製餡所。
あんこの専門工場のようです。
そんなお商売があるなんて。
パン工場やお菓子の工場に卸しているのでしょうね。

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広かった家具団地の道は、突如古くからある街道になり、谷筋に入って川を渡りました。
橋は「八幡橋」。
八幡を目指す街道の橋、ということでしょう。

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街道らしい、ちょっと古い街並みの長尾元町。

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おそらく講と思われる灯籠もありました。
でも、字が読めませんでした。

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街を抜けると、菅原交差点からは車が行き交う府道に抜けます。
さほど歩くには面白くない道。

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菅原小学校は、旧正門の門柱を保存展示しています。
いい感じ。

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いい香りを漂わせている精肉店発見!

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購入!
ほくほく!
ウマウマです。

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漢字の王仁博士の墓の脇を通ります。
線路の向こうでよくわかりませんが。
あまりに面白くないので、集落内に寄り道。

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よく車で通過する国道307号線との交差点。
車で来るのと、自分の足で歩いてくるのとは、全く印象が違ってびっくりします。
本日の到着点、JR津田駅まではあと700m。

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「山下翁徳碑」。
かつて枚方も素麺の産地だったそうで、その功績が讃えられています。
先日テレビでも、ただ一軒残るそうめん生産者を取材されていました。

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JR津田駅に到着。
この日の総歩数は20220歩。
軌跡入りの地図はこちら(Google Map)

実踏破日、平成25年1月27日(日)