つづいて、近鉄瓢箪山駅を目指して、東高野街道を歩きます。
安岡先生の旧宅近くの「浜地蔵尊」。
ここに浜があったのでしょう。
今の様子からは想像もつきません。
石切神社が近づくにつれ、石屋さんだらけになってきました。
いろんな石像が展示されていて面白いんです。
でも、街道は狭い旧国道で車も多く、ゆっくり眺めるようなことはできません。
孔舎衙小学校の敷地に設置されている道標。
この面は、「南 高や 大峯」「北 京 や よど」が読めます。
でも、壁に面している面は・・・。
「右」しか読めません。
もったいない。
道標は、地域の共有の文化財だと思います。
反対面は「左 のざき」の文字が読み取れます。
ようやく車の行き交う国道170号線旧道と、さらに旧道がわかれます。
もちろん「さらに旧道」へ。
ところがこの道幅でも、車は入ってくるは、自転車はいっぱいとおるは。
なかなかに活きた街道なのであります。
街道筋が河川と交わり、少々広くなっているところ。
大峯講のお堂と石碑がありました。
街道筋に面した立派なお屋敷の石垣。
見事です。
全くスキがありません。
筋向いの大きなお屋敷はかやぶき。
街道に面した小さな公園の表札です。
「ちびっこ老人懇の広場」
子どもとお年寄りが一緒に遊べる広場の意味でしょうね。
でも、「ちびっこ老人」がねんごろになる姿も想像出来ます。
いや、できませんか。
ネーミングって難しいものです。
さらにいくと、今風の小さな公園がありました。
そこにこの碑があります。
「昭和二十五年四月改修 石切町植附大池」と書かれています。
扇状地ですから、保水力は低く、大雨の治水や平時の灌漑などは地域の大きな課題だったのでしょう。
で、その大池も埋められ、今は公園に。
公園を作るにあたって土地を提供された経緯も、顕彰碑に刻まれていました。
石切神社にお参りします。
お百度石と本殿。
たくさんの方がお参りされていました。
石切神社といえば、境内までの参道が楽しいのです。
小さなお店が軒を連ねて、今も賑わいを見せています。
人が写り込まないようにいくら頑張ってもダメです。
粘って少ない瞬間を狙ってもこんなかんじです。
この賑やかな参道は、神社東側の近鉄奈良線の石切駅に向かって伸びています。
鉄道でお参りしていた時代から栄えてきたのですね。
反対の西に位置する高野街道に向かっては、これほどのお店はありません。
ちょっと神社を行き過ぎて、近鉄石切駅方面に足を伸ばします
おばあちゃんがよくおみやげに買ってきてくれたお漬物のお店。
今も健在です。
まだまだ歩きますから、ここでお漬物を買うと重いので、今日はパス。
子どもの頃、「すごいお店」に見えたおもちゃ屋さん。
おせんべいなら軽いので大丈夫。
おみやげに購入しました。
石切神社の参道は占いでも有名です。
こちらが、東高野街道に向けての参道です。
東側にも占い横丁があるようです。
近鉄けいはんな線の新石切駅すぐの石切藤地蔵尊。
とても古いお地蔵さんで、多くの信仰を集めてきたそうです。
丁寧にお祭りされています。
なんとこの畳敷きで寝る方がいらっしゃるらしく、注意書きがありました。
さらに街道を進むと、こんな道標が。
よほど車にぶつけられるのでしょう。
厳重にガードがされています。
でも、逃げ出さないように、捕まっているようにも見えます。
「すぐ石切」「右 生駒山」
この「すぐ」は本当にすぐです。
枚岡神社の一の鳥居。
神社まではかなりあるようで、今回はパスします。
「東高野街道・枚岡神社一の鳥居」の説明板があります。
いわく、このかなりある広い地域が、元の社領だそうです。
また、「古代において、河内の平野部は、池や低湿地のため、この山麓ぞいの道は、河内で唯一の南北道として重要な役割を果たしていました。」とのことです。
当時の大阪って、狭かったんですね。
弘法大師をお祭りされています。
その向かいに、小さな道標がありました。
指が指す方向は、「京 枚岡 のざき やわた」。
なるほどその通り。
左側面は「すぐ高野」・・・。
まあ、「すぐ」の意味が違うのでしょう。
一度調べなくては。
瓢箪山駅が近づくと、国道170号線の旧道と合流します。
三角地には道標や道路改修記念碑。
それになぜかひょうたんの石碑がいっぱい。
道標は「左 高野」「右 京」。
小さな地名も書かれているようですが、読めませんでした。
街道、つまり国道170号線は、アーケードに入ります。
賑やかなアーケード街です。
Wikipediaによれば、国道指定を受けているアーケード街は日本で2か所だけだとか。
近鉄瓢箪山駅に到着。
線路を挟んで向こう側にも、アーケードが伸びています。
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軌跡入りの地図はこちら(Google Map)