急な石段を登り切ると、それはパノラミックな風景です。
大阪市方面の高層ビルが見えます。
野崎観音は、福聚山慈眼寺。
こちらが本堂です。
野崎詣りは、古い歌謡曲や、落語、歌舞伎、文楽などの演目で有名なんですね。
本堂の軒には、戌がいっぱい。
山門は、中国風か禅寺といった感じです。
こちらも、石段が急です。
急な斜面の冬の花といえば、水仙。
きれいに満開でした。
東高野街道に戻ると、もちろん観音様の道しるべがあります。
足元のマンホールの蓋。
落語の野崎詣りのシーンが描かれています。
足、写っていますね。
立派なお屋敷のある辻に、「戸森山専應寺」の道標。
邸宅が、街道筋に続きます。
昔から栄えてきた街なのですね。
電柱が絵的には邪魔です。
どう注意するのか。
それとも、注意して見つめるのか。
「龍間山不動尊の瀧」という碑。
切り立った山が迫っていますから、立派な滝があるのでしょうね。
さすがに見に行く時間がないので、今回はパスします。
ポケットパークにも、いわれのありそうな石柱が横たえられています。
廃寺のようです。
山からほぼ真っすぐに扇状地をなす小河川。
覗きこむと、これほど固められているのに、結構な量の土砂が堆積しています。
街道は大阪産業大学のキャンパスを貫いています。
というか、もちろん街道を挟んで両側に大学のキャンパスが広がっているのですね。
そのキャンパスの一角に
またまた「龍間山不動尊」の道標です。
半分埋もれてしまっていて「たつまの」までしか読めません。
「たつまの」「たき」でしょうか。
かなり酷い扱いを受けている道標。
現在の阪奈道路の旧道にあたる道筋に立っています。
「すぐ大峯山上」
もちろんすぐではありません。
国道170号線の旧道を歩きます。
車が多いのでヒヤヒヤします。
現在の阪奈道路と交差します。
山肌に巻き付くような阪奈道路。
自動車用の道とはいえ、古い道路です。
さぞや難工事だったことでしょう。
東大阪市に入りました。
「紀元二千六百年 八紘一宇」の碑。
「紀年の松」という碑も。
松はありませんでしたが。
手前の注連縄が巻かれた石碑は、ぼくには読めません。
達筆!
金毘羅さんの石灯籠。
ありとあらゆる石碑や道標があります。
さすが昔からの石切の地。
フェンスに「安岡正篤先生旧宅」を示す看板がありました。
「安岡正篤先生って誰?」と思っていたら、すごい方じゃないですか。
学者さんなんですね。
「平成」の発案者だとか。
う~ん、勉強になります。
つづく。