東高野街道を歩いた際には、記録の通り、第2回から第3回にかけて、長尾峠を越えています。
でも、通常ルートは洞ヶ峠。
気になります。
というわけで歩き直し。
歩いたのはだいたいこの辺り。
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今回歩いた軌跡はこちら。
バスで八幡市の吉井に向かいました。
バスは枚方市の樟葉から乗りましたよ。
府境、市境が入り組んでいます。
喫茶店のある、何気ない分かれ道。
ここが街道の分かれ道なんですね。
右に入っていくのが、洞が峠越えの東高野街道。
直進にあたるのが、長尾峠越えの山根街道。
前回は直進しましたが、今回は右へ。
曲がるとすぐに、また分かれ道です。
峠ですから、本来の峠に近いのは左の方・・・。
大規模な開発によって、このあたりの街道筋は完全に失われているそうです。
痕跡を探すような趣味は、今回お預け。
右の道を進みます。
町内会の看板です。
なんと町内会に飛び地があります。
住宅地になるよりもはるかに古くから、土地の利権が複雑なのでしょう。
少し農地も残っていたり。
高低差が見て取れたり。
電波塔が映っていますが、あのあたりが本来の高野街道だそうで。
歩く道は大きな山手幹線のガードを潜ります。
一度、山手幹線に上がってみます。
左手の電波塔が立っている面が本来の地面の高度です。
手前も、右側もざっくりと削られています。
電波塔から右手へ上空を高野街道が横切っているそうです。
歩いてきた道に戻って、山手幹線をくぐると、景色が一変しました。
さっきまで住宅街だったのに!
竹やぶは達磨堂円福寺さん。
江戸中期に起源を持つ修業の場のお寺だそうです。
街道沿いの国境に建てられたということですね。
立派なお寺ですが、拝観お断り。
残念です。
お寺の前には、新しい墓地があります。
ここから電波塔を見ると、ああ納得。
この墓地を街道が通過しているのですね。
お寺の前からは「高野道」の名称も復活します。
お寺の正面です。
写っている竹やぶとの間には現在の国道1号線があります。
中程に茅葺の屋根が写っているのが「峠の茶屋」。
現在の洞ヶ峠です。
つづく。
wiki - 「洞ヶ峠」
この件について詳しいブログ「なぎさ - 東高野街道 旧道探索 洞ヶ峠は今」